医師になった理由

医師を志してから、開業まで 【院長 有島 武志】

私が医師を目指したきっかけ

食中毒で入院

小学生の時に、風邪で何度か自宅近くの診療所を受診した際に、担当の先生がいつも優しく丁寧でした。
そのため安心して診察を受けることが出来ていたことから、「こんな先生になりたいな」と漠然と思っていました。
その一方で、船長、パイロット、F1ドライバーなどの乗り物を運転する仕事にも憧れがあり、将来の夢は決めきれないままでいました。
しかし、中学3年生になった時に医師を目指すことを決定付けた出来事が起こりました。
それは信州への修学旅行中に、集団食中毒にかかってしまったのです。
私自身も高熱にうなされ、腹痛が激しく、下痢も頻回にきたし、かつて経験したことがない程のしんどさがあり、救急病院に搬送されそのまま入院となりました。
同様の症状は同学年の生徒の半数以上に生じていたため、現地の病院は食中毒の同級生で溢れかえり、ベッドは一つも空いておらず結局廊下で処置や治療を受けることになりました。
「修学旅行中に入院なんて」とみんな不安な気持ちと悲しい気持ちで一杯でしたが、その時に担当していただいた先生がとても優しく、「大丈夫だよ、きっと良くなるからね。」と声をかけてもらったのです。
恐らくその先生は一睡も出来ず、夜通し100人以上の食中毒患者を診察していたのだと思います。
その時に、「自分もあのような安心と希望を与えられる優しい先生になりたいな」という小学生時分からの思いが蘇りました。
「病気で病む人を助けたい」「人のためになる仕事がしたい」との思いが確固たるものとなり、この食中毒をきっかけに医師を目指すことになりました。

医者になるには体力が必要!

空手部との出会い

何とか医学部に合格し、立派な医師になれるよう頑張ろうと思いながら入学式に参加した日のことです。
当日大学の正門から入学式のある講堂に行くまでに、各クラブの熱烈な勧誘合戦が待っていました。
そんな中、道着を着た凛々しい男性と、かわいらしい女性が、「医者になるには体力が必要」「今日入学式の後に食事でも行きましょう」と空手部の方に誘われ、入学式終了後にそのまま空手部の宴会に参加していました。
OBの先生方も多数参加され、また現役部員の方も皆さんとても雰囲気が良く、さらに以前から武道をしてみたいと思っていたこともあり、数日後に正式に空手部に入部しました。

大学の医学部、ここは体育大学??

血に染まった尿が!!!

空手優勝メンバー

空手優勝個人

ところが、いざ空手部の部活動が始まると、ここは体育大学?と思えるほど本気モードでの練習が待っていました。
大学の授業が終わるや否や即練習開始です。
合宿も毎年あり、練習のハードさのあまり血に染まった尿を何度か経験しました。いわゆる「行軍ヘモグロビン尿症」です。
さすがに放置すると急性腎不全になりかねないため、学生レベルの医学知識をフル活用して、水分補給等を徹底し乗り越えました。
ただ万が一の場合にも、幸いOBはみんな医師ですので、いざという場合のバックアップ体制は万全です。
また、体育会クラブでは当然ですが、徹底した上下関係があり、今思うと忍耐力や体力を身に付けるのはもちろん、社会人としての準備段階としてもいい勉強になったと思います。
普段の練習の際にもOBの先生が来られた日には食事会があるのですが、その際にもお酒の注ぎ方や注がれ方等いわゆる作法的なものを自然に習得できました。一方、空手のレベルは医学部のクラブとは思えない程異様に高く、なぜか一般の空手大会にも何度も参加していました。
師範が相当著名なお方で、ナショナルチームにも携わっておられたことから、実業団の方や、日本代表の方と練習することもしばしばありました。彼らの突き蹴りは凄まじく早く、気が付けば一本取られていることは少なくありません。ただそのレベルを経験していた甲斐があってか、西日本医科学生総合体育大会(西医体)という、西日本の医学部生が参加する最も大きな大会で優勝することが出来ました。
目標達成のためには、戦略を練り、努力を重ね、困難を乗り越えるための努力と信念を持続することが大事であることを、空手道を通じて教えてもらいました。
その魂(直心)は今なお医師になっても生き続けています。

今思えば懐かしい研修医時代

何でもできる気がしたが…

無事大学を卒業し、医師国家試験にも合格した後は、研修医生活が始まりました。
医師になってしばらくは何もできない、ただ医師免許を持った人という感じでした。その後しばらくして主治医を持たせていただき、上級医から少しずつ手技や知識を学び、ようやく医者らしくなってきたのかなと思えるようになりました。
今思うと一日一日確実に成長しているのが身をもって実感できた時期です。今の研修制度と違い、当時は研修医の給与は全く保障されておらず、そのため同級生ともども院外に当直に出かけることが多々ありました。
そのためこの頃はほとんど家に帰らず、当直バイトに行くか毎日医局にへばり付いて生活していた気がします。
ある程度自分の診療に自信が出てきて、病棟患者さんの急変時や救急外来への患者さんの来院時は、我先にと患者さんのところに向かっていました。
研修医2年目が終了する頃になると、何でも出来るのでは?と自惚れやすい時期にさしかかりますが、3年目から定期的な外来診療を担当することになると、それは間違いであることにすぐに気付かされました。
自分一人で、また迅速に適切な判断が必要な外来診療を経験した時、やはり医師は甘くないと痛感しました。
この時医師は一生涯にわたり、患者さんのために貪欲に知識を習得し経験を積まなくてはいけないと再認識しました。

内科の中での専門性を決める時期…

内分泌代謝内科を極めたい

研修医生活や関連施設での診療経験を経た後、内科の中で何を専門にするのかを4年目に決める必要がありました。
そんな中、私は内分泌代謝内科を選びました。この分野は学問的に非常に興味深かったことがまず挙げられます。
さらに近年増加の一途である生活習慣病の多くが、内分泌代謝内科の範疇に含まれることから、今後ますます重要性が増すと考えられ、それを何とかしたいという思いもあったことがその理由です。
代表疾患は、糖尿病、甲状腺疾患(バセドウ病、橋本病、甲状腺機能低下症、良性腫瘍、悪性腫瘍等)、脂質異常症、肥満、高尿酸血症(痛風)等になります。そこでまず母校の大学病院での外来診療、病棟診療を行いながら専門診療の実際を経験しました。
所属教室の教授が日本を代表する糖尿病専門医であり、日本では比較的まれな1型糖尿病の患者さんも含め多数の糖尿病患者さんの診療を担当させていただきました。
また、甲状腺疾患の診療も極めたく思い、日本を代表する甲状腺専門病院である隈病院へ常勤として出向させていただき、ありとあらゆる甲状腺疾患の患者さんを、延べ2万人以上診療させていただきました。
その結果、教科書的な知識のみでなく、臨床経験に裏付けられた診療が出来るようになりました。

現代医学(西洋医学)に加え東洋医学(漢方治療)も併用したい

学生の頃から思い続けた
最高の医療を実現するには

私は学生時代から東洋医学研究会という漢方や鍼灸を勉強するクラブ活動を積極的に行っていました。
最高の医療を目指すなら、西洋医学に加え東洋医学も駆使する必要があると思ったからです。西洋医学にも東洋医学にも得手不得手があり、各々限界があることは否めません。
それならば、西洋・東洋の両医学の枠にとらわれず、良いところ取りをし、両医学の特質を生かしながら融合することで最高の医療が行えるのではないかと思います。
「血液検査や画像検査のデータが良くなっても自覚症状が残っている」、もしくは「検査では何も異常値は認めないにも関わらず自覚症状を認める」、このような場合が臨床の現場では少なくないのです。
例えば前者では血糖値や甲状腺ホルモン値は正常値になっているのに、だるさ、イライラ感、動悸、多汗などが残っている。
後者では冷え性、肩こり、上半身はほてるのに下半身は冷える、のどに何かが詰まっている気がするなどがそうです。
その他、複数の疾患をお持ちの高齢者や、体力が低下しているため西洋医学の強いお薬が使いにくい状態の場合などは東洋医学が得意とする領域です。医師になってからは、臨床の場でいかに西洋、東洋の両医学を融合すべきかを常々考えています。
それを実現するために、日本を代表する東洋医学の聖地的施設である、北里研究所(現北里大学)東洋医学総合研究所に国内留学しました。ここでは本格的な東洋医学の勉強が出来たとともに、臨床現場で漢方治療を併用することでどこまで効果が期待できるのかについても経験することができました。
治療を行っている医師も、認定医、専門医レベルの西洋医学の臨床経験を積んだ漢方のエキスパートが日本中から集結していたことから、お互い切磋琢磨しながら様々な臨床経験を積むことが出来ました。今はこの経験を患者さんに還元すると同時に、医師や薬剤師を対象に各地で講演活動を行ったり、学生や一般市民に対する講義やセミナーも積極的に行い啓蒙活動に努めています。

開業を志したきっかけ

開業を志したきっかけ

きっかけは隈病院に勤務しているときにさかのぼります。
甲状腺専門医は今なお非常に少なく、結果として隈病院のような専門施設に、かなり遠方から受診されている患者さんが多いのが現状です。
患者さんのご負担を考えると「地元でハイレベルな専門的医療を受けることが出来れば」と思います。
しかし現実問題として、関西圏の医学部では、糖尿病専門医は多数養成しているものの、甲状腺専門医に関しては極限られた施設以外では十分な臨床経験が積みにくいのです。そのため糖尿病専門医が甲状腺疾患の患者さんも一緒に診療することが多いのが現状です。
私自身は医局人事で隈病院の後は、市立枚方市民病院内科に赴任しました。
ここでは、内科一般はもちろん、甲状腺疾患(バセドウ病、橋本病、甲状腺機能低下症、良性腫瘍、悪性腫瘍等)や糖尿病を中心とした内分泌内科の専門外来も担当しました。さらに地域の中核病院であったことから救急外来に力を注いでいたことから、風邪や胃腸炎の軽症患者さんのみでなく、心筋梗塞、狭心症、心不全、気胸、呼吸不全、吐下血、急性腹症、脳梗塞、髄膜炎、糖尿病性昏睡、アナフィラキシーショック、場合によっては心肺停止まで多種多様な患者さんの診療を日常的に行っていました。つまり専門領域以外はみませんとは決して言えない環境であり、まさに総合内科医としての診療も多かったと思います。
また内科副部長を拝命していましたので、研修医教育、糖尿病教室、糖尿病患者会、栄養サポートチーム、栄養管理委員会等様々な経験をさせていただきました。
このような経験を踏まえ、一般内科を大切にしながら、甲状腺疾患や糖尿病を中心とした内科診療を行いたいと思う気持ちが強くなりました。
在職していた枚方市には当時、私を含めて糖尿病学会認定専門医が18名、甲状腺学会認定専門医も3名もいました。
医師や専門医の偏在が叫ばれている昨今、これらの専門医が少なく自分の知識と経験をより還元できる地域で、患者さんお一人お一人を継続的に診察させていただき、皆様の健康に寄与したいと考え、宝塚の地で開業を決意しました。

開業する今思っていることは…

皆様に満足と
幸せをもたらし、
希望のある人生を

医師になってから今日まで一貫して、皆様が「幸福度×年数」を高めることで幸せになってもらいたいと思い日々精進してきました。

今後もその思いを継続し、まずは皆様に「信頼」していただくとともに、ありしま内科の「チーム力」を生かし、「ニーズにお応えする」ことが必要と考えます。
また「最適な治療」を心掛け、特に私が専門とする甲状腺疾患や糖尿病といった分野に関しては「ハイレベルな専門医療」をご提供します。

その結果として、皆様に満足と幸せをもたらし、希望のある人生を送っていただくことが目標です。常に患者さんの立場に立って行動することを心掛け、スタッフ一丸となって全力を尽くします。

どうぞお気軽にご相談ください。

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